「建物のCO2」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。
高断熱化、高効率エアコン、LED照明、太陽光発電。
これまでは、建物を「使うとき」に発生するエネルギーを減らすことが、省エネ・脱炭素の中心でした。
ところが今、その考え方が大きく変わろうとしています。
鉄骨やコンクリートなどの建材を製造するところから、建設、建物の使用、修繕、設備更新、そして最後の解体・廃棄まで。
建物が生まれてから壊されるまでに、どれくらいのCO2を排出するのか。
これを評価するのが「ライフサイクルカーボン」です。
2026年7月には改正建築物省エネ法が成立し、建築物のライフサイクルカーボン評価制度が創設されました。
そして2026年10月5日には、国土交通省が第8回「建築物のライフサイクルカーボンの算定・評価等を促進する制度に関する検討会」を開催。
2028年度の制度開始に向けて、具体的なルールづくりが進んでいます。
まだ一般の建物オーナーにはあまり知られていませんが、これは今後の建築実務にかなり大きな影響を与える可能性があります。
私は一級建築士として、また発注者側で建築プロジェクトに関わってきた立場として、
「単にCO2を計算する制度が増える」
だけではないと感じています。
この記事では、
- ライフサイクルカーボンとは何か
- 2028年度から何が変わるのか
- 建築主や建物オーナーにどんな影響があるのか
- 建築費はさらに上がるのか
- 地方の中小建築物にも関係するのか
について、できるだけ実務目線で解説します。
※この記事は2026年10月5日時点で公表されている国土交通省などの資料をもとに作成しています。今後、省令・告示などによって制度の詳細が変更・具体化される可能性があります。
ライフサイクルカーボン(LCCO2)とは?
ライフサイクルカーボンとは、簡単にいえば、
建物の一生を通じて発生する温室効果ガスを評価する考え方
です。
建物からCO2が出るのは、エアコンや照明を使っているときだけではありません。
例えば建物を建てる前にも、
- セメントを製造する
- 鉄骨を製造する
- ガラスを製造する
- 建材を現場まで運搬する
- 建設機械を動かす
といった工程があります。
建物が完成したあとも、
- 空調設備を更新する
- 外壁を修繕する
- 屋上防水をやり替える
- 内装を更新する
- 照明や設備機器を交換する
といった工事が発生します。
そして最後には、解体して廃材を運搬・処理しなければなりません。
こうした建物の一生全体で発生する温室効果ガスを見ようというのが、ライフサイクルカーボンの考え方です。

LCCO2とWLCは何が違う?
関連資料を読んでいると「LCCO2」だけでなく「WLC」という言葉も出てきます。
WLCは「Whole Life Carbon(ホールライフカーボン)」の略です。
厳密な用語の使われ方には違いがありますが、この記事ではわかりやすさを優先し、
「建物のライフサイクル全体で発生するCO2・温室効果ガスを評価する考え方」
として説明していきます。
これまでの「省エネ」と何が違うのか
ここが今回の制度を理解するうえで、一番重要なところです。
これまで日本の建築物における省エネ政策では、建物を使用するときのエネルギー消費を減らすことに重点が置かれてきました。
代表的なのが、
- 高断熱化
- 高効率空調
- LED照明
- 太陽光発電
- ZEB
などです。
もちろん、これらが重要であることは今後も変わりません。
ただし、ライフサイクルカーボンでは、
「建物を使うとき」だけではなく、「建物をつくるとき」まで見る
ことになります。

例えば、省エネ性能を高めるために大量の設備や建材を投入すれば、建物を使用しているときのCO2は減っても、建材や設備を製造するときのCO2は増えるかもしれません。
逆に、建物の規模をコンパクトにしたり、既存建物を長く使ったりすることで、建設段階のCO2を大きく減らせる可能性もあります。
つまり今後は、
「省エネ性能が高い=建物全体として環境性能が高い」
と単純には言えなくなってくるわけです。
2028年度から何が始まる?
2026年7月、改正建築物省エネ法が成立し、建築物ライフサイクルカーボン評価制度が創設されました。
国土交通省は、大規模事務所に係る届出制度などについて、2028年度からの開始を予定しています。

現在検討されている主な仕組みには、
- 建築主によるライフサイクルカーボン評価
- 国への届出
- 設計者から建築主への評価内容の説明
- 第三者による評価・表示
- 統一的な算定ルールの整備
- 建材・設備の排出原単位の整備
などがあります。
2026年10月5日に開催された検討会でも、2028年度の制度開始に向けて具体的な制度設計の方向性が議論されています。
「2028年からすべての建物が義務化」ではない
ここは誤解しやすいので注意が必要です。
2028年度から、住宅や小規模店舗を含めたすべての建物でLCCO2算定が義務になるわけではありません。
国のロードマップなどでは、
5,000㎡以上の事務所の新築等
を建築主による届出制度の対象例とする考え方や、
2,000㎡以上の非住宅建築物の新築等
について設計者から建築主への説明制度を設ける考え方などが示されています。
ただし、2026年10月時点では詳細な対象範囲や算定方法などについて制度設計が続いています。
したがって、
「5,000㎡以上なら必ずこうなる」
「2,000㎡以上なら全部義務になる」
と現時点で決めつけるのは早いでしょう。
今後発表される省令・告示などを確認する必要があります。
建物オーナー・発注者には何が変わる?
制度そのものの対象になるのは、まず大規模なオフィスなどが中心になると考えられます。
では、小規模なビルや店舗を所有している人には関係ないのでしょうか。
私は、そうはならないと思っています。
なぜなら建築業界では、大規模案件で標準化された仕組みが、徐々に一般的な工事にも波及してくることが多いからです。
大手設計事務所やゼネコンがLCCO2算定を標準業務として扱うようになれば、
- 設計仕様書
- 建材選定
- メーカー選定
- 見積書
- 発注条件
- VE提案
などにも影響が出てくるはずです。
例えば、数年後には設計打合せの中で、
「こちらの材料の方がCO2排出量を抑えられます」
「このメーカーはEPDがあります」
「構造を変更するとアップフロントカーボンがこれだけ下がります」
といった会話が普通に出てくるかもしれません。
建材選びが「価格・性能・納期+CO2」になる
私は、実務上かなり影響が大きいのが建材選定だと考えています。
現在、建築資材を選ぶ際には、
- 価格
- 性能
- 耐久性
- 納期
- デザイン
- メンテナンス性
などを比較するのが一般的です。
これからは、ここにもう一つ、
「その建材を製造するときに、どれくらいCO2を排出しているか」
という指標が入ってくる可能性があります。
そこで重要になってくるのが「EPD」や「CFP」です。
EPDとは?
EPDは「Environmental Product Declaration」の略で、製品の環境負荷に関する情報を一定のルールに基づいて開示する仕組みです。
CFPとは?
CFPは「Carbon Footprint of Products(カーボンフットプリント)」の略で、製品やサービスのライフサイクルを通した温室効果ガス排出量をCO2換算で示す考え方です。
今後こうしたデータが整備されていけば、
「A社とB社、性能も金額もそれほど変わらない。それならCO2排出量の少ない方にしよう」
という選択も増えてくるでしょう。
これは設計者だけでなく、建材メーカーにとっても大きな変化だと思います。
LCCO2はどうやって計算する?
ここまで読むと、
「そもそも建物一棟のCO2なんて、どうやって計算するの?」
と思う人もいるでしょう。
そのためのツールとして現在公開されているのが、
J-CAT(Japan Carbon Assessment Tool for Building Lifecycle)
です。
J-CATは、建物のライフサイクル全体を通じた温室効果ガス排出量を算定するためのツールです。
一般建築物や集合住宅を対象とする「J-CAT-建築」では、
- 簡易算定法
- 標準算定法
- 詳細算定法
が用意されています。
設計初期の概算から、設計・竣工段階まで、目的に合わせて算定方法を選べます。
さらにJ-CATでは、原材料の調達から施工、使用、修繕、設備更新、解体・撤去、廃棄物処理まで、建物のライフサイクル全体を対象とした算定が可能です。
つまり今後、
A案とB案では、建築費だけでなくLCCO2がどれくらい違うのか
という比較も、設計段階で行われるようになる可能性があります。
建築費はさらに上がるのか?
建物を所有する側、発注する側としては、ここが一番気になるかもしれません。
「また制度が増えて、建築費も上がるのでは?」
という話です。
短期的には、コストアップにつながる要素はあると思います。
例えば、
- LCCO2算定業務
- 設計者の作業増加
- 第三者評価費用
- EPD等に対応した建材の選定
- CO2削減案の検討
などです。
特に制度の導入初期は、対応できる設計者や専門家も限られるため、追加業務として費用が発生する可能性があります。
現在でも建築費は高止まりしています。
そこへ新たな評価業務が加われば、発注者としては当然気になるところです。
ただ、ここで一つ注意したいことがあります。
「LCCO2を減らす=高価な環境配慮型建材を使う」ではありません。
例えば、
- 建物を必要以上に大きくしない
- 構造材の使用量を合理化する
- 長く使える建物にする
- 既存建物を改修して使う
- 修繕しやすい設計にする
- 交換頻度の低い材料を使う
- 再利用・リサイクルしやすい材料を選ぶ
といった方法でも、ライフサイクル全体のCO2を減らせる可能性があります。
むしろ、
コストを抑える設計とCO2を減らす設計が、同じ方向を向くケースもある
のではないかと考えています。
発注者側では「基本設計の前」がさらに重要になる
私が発注者側で建築プロジェクトに関わってきた経験から、今回の制度で特に気になっているのがここです。
ライフサイクルカーボンを本気で削減しようとすると、
設計のかなり早い段階で方向性を決める必要があります。
実施設計がほぼ完成してから、
「この建物のCO2を20%減らしてください」
と言われても、できることはかなり限られます。
建物のCO2排出量に大きく影響する、
- 建物規模
- 建物形状
- 構造種別
- スパン
- 階高
- 外装
- 設備方式
などは、基本設計の段階でほぼ方向性が決まるからです。
これまで発注者側では、
コスト・工程・品質
のバランスを見ながらプロジェクトを進めてきました。
さらに近年は省エネ性能も重要になっています。
そしてこれからは、
LCCO2というもう一つの判断軸
が加わる可能性があります。
これは意外と大きな変化です。
「建て替え」より「既存建物を使う」ことが評価される時代に?
個人的に、ライフサイクルカーボンという考え方で特に注目しているのが、既存建物の活用です。
新しい建物を建てるには、大量のコンクリートや鉄、ガラスなどが必要になります。
当然、その製造や運搬でもCO2が発生します。
一方で、既存建物の構造体などを活かしながら改修できれば、新築に比べて建設段階のCO2を抑えられるケースがあります。
もちろん、
「古い建物はすべて残した方がいい」
という単純な話ではありません。
耐震性、劣化状況、設備、省エネ性能、将来の使い勝手なども考える必要があります。
それでも今後、
「壊して建て替えるか」「改修して使い続けるか」
を検討するときに、建築費だけではなくLCCO2という数字も比較材料になる可能性があります。
空き家や既存ビルの活用にも関わってくる話だと思います。
地方の中小建築物には関係ない?
制度開始当初は、大規模事務所などが中心になります。
そのため、地方の建物オーナーや中小企業からすれば、
「うちには関係なさそうだ」
と思うかもしれません。
実際、2028年度になった途端に地方の小規模店舗までLCCO2算定が必要になる、という話ではありません。
ただし、だからといって無関係とも言い切れません。
大手ゼネコンや設計事務所が対応を進める。
建材メーカーがEPDなどを整備する。
建築主がLCCO2を意識する。
金融機関や投資家が建物の環境性能を見るようになる。
こうした流れが進めば、制度の直接的な対象ではない建物にも影響が広がっていく可能性があります。
以前は一部の大型建築物の話だった「ZEB」や省エネ性能についても、今では一般の建築計画で普通に聞く言葉になりました。
ライフサイクルカーボンも、同じような道をたどる可能性があります。
不動産価値にも影響する可能性がある
もう少し長い目で見ると、ライフサイクルカーボンは建築だけでなく、不動産そのものの評価にも関係してくるかもしれません。
現在でも大規模なオフィス市場では、
- 省エネ性能
- ZEB
- 再生可能エネルギー
- ESG
- CASBEE
- LEED
など、環境性能を重視する動きがあります。
今後、建物のLCCO2を一定のルールで比較できるようになれば、
「この建物は一生を通してCO2排出量が少ない」
ということ自体が、建物の評価項目になる可能性があります。
すぐに地方の賃料や売買価格が変わるとは思いません。
ただ、10年、20年という単位で見ると、
建物の環境性能が不動産価値と結びついていく流れ
は無視できないと思います。
一級建築士・発注者側の立場から感じること
今回の制度について、私が一番興味深いと感じているのは、
「環境性能=設備性能」という考え方から少しずつ変わっていくこと
です。
これまで脱炭素というと、
「高効率な設備を入れる」
「太陽光発電を載せる」
「断熱性能を上げる」
という話になりがちでした。
もちろん、それも大切です。
ただ、建物の一生を考えれば、
- 本当に建て替える必要があるのか
- 既存建物を使えないのか
- 必要以上に大きな建物になっていないか
- 何年間使う建物なのか
- 修繕しやすくなっているか
- 設備を更新しやすいか
- 解体した材料を再利用できるか
といったところまで、本来は考える必要があります。
私はこの考え方自体は、建築の本質にかなり近いと思っています。
建物は完成した瞬間がゴールではありません。
むしろそこから、
30年、50年、場合によっては100年使っていくもの
です。
初期建築費だけではなく、
「どうつくり、どう使い、どう直し、最後にどう壊すのか」
まで考える。
LCCO2評価の本当の意味は、単なるCO2計算以上に、そこにあるのではないでしょうか。
これから建物を建てるなら、今から気にするべき?
2026年10月時点では、多くの一般的な建築主が今すぐLCCO2を詳細に計算しなければならない状況ではありません。
ですから、
「制度が始まる前に急いで何か対応しなければ」
と焦る必要はないでしょう。
ただし、これから数年以内に、
- 大規模なオフィスを新築する
- 企業の本社や事業所を建て替える
- 大規模改修を計画している
- ZEBを検討している
- 長期間保有する収益不動産を建てる
という場合には、設計者やゼネコンとの打合せで、
「この建物ではLCCO2についてどう考えていますか?」
と一度聞いてみてもいいと思います。
今すぐ何か特別な仕様を採用する必要はなくても、設計者側がどの程度この流れを把握しているのかを見る材料にもなります。
まとめ|2028年度は建築物の評価基準が変わるスタート地点
建築物の脱炭素政策は、
「建物を使うときの省エネ」から、「建物の一生を通したCO2削減」へ
大きく広がろうとしています。
2026年7月には建築物ライフサイクルカーボン評価制度が創設され、2028年度の制度開始に向けて具体的なルールづくりが進められています。
ただし2026年10月時点では、対象建築物や具体的な算定・届出方法など、今後決まっていく部分もあります。
現時点で必要以上に不安になる必要はありません。
一方で、建築業界が進もうとしている方向はかなりはっきりしています。
これからの建築では、
コスト・品質・工程・省エネ性能
だけではなく、
「この建物は一生でどれくらいCO2を排出するのか」
という視点も求められるようになるでしょう。
最初は大規模なオフィスなどから始まる制度でも、設計事務所、ゼネコン、建材メーカーが対応していけば、いずれ地方の中小規模建築にも影響してくる可能性があります。
個人的には、
「2028年になってから知ればいい制度」ではなく、「今から動きを見ておきたい制度」
だと思っています。
今後、具体的な対象規模や算定ルールなどが決まってきたら、このブログでも随時追記していきます。
参考資料
この記事の作成にあたり、主に以下の公的資料・公式情報を参考にしています。
- 国土交通省「第8回 建築物のライフサイクルカーボンの算定・評価等を促進する制度に関する検討会」
- 国土交通省「建築物のライフサイクルカーボンの算定・評価等を促進する制度に関する検討会」関連資料
- 一般財団法人住宅・建築SDGs推進センター「建築物ホールライフカーボン算定ツール(J-CAT)」
- 環境省・国土交通省の建築物脱炭素・ZEB関連資料
※制度内容は今後変更・具体化される可能性があります。実際の建築計画における適用の有無については、最新の法令・告示等をご確認ください。


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